道歌3田宮流居合歌の伝

2020年3月 7日 (土)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の26うき草は

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の26うき草は

田宮神剣は居合歌の秘伝
うき草はかきわけみればそこの月
       ここにありとはいかで知られん

曾田本秘歌の大事
この歌は有りません。

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
萍をかきわけ見ずば底の月
      ここにありとはいかでしるらん

 この歌の元歌がどこかにありそうな雰囲気ですが、是と云って見つけ出せずにいます。池一面に浮かんでいる萍を掻き分けて見れば、池の底に今日の月が写っていた。此の場合池の底に月は写るものなのか、水面に写るものなのか見たままの状況を詠んだのでしょう。
 武術では、相手の心を我が心に移しとって応じる水月の心が謡われています。

 無外流の百足伝「うつすとも月も思はずうつすとも水も思はぬ猿沢の池」
 一刀流の水月之亊では笹森順造先生は「早き瀬に浮かびて流る水鳥の嘴振る露にうつる月かけ」「敵をただ打と思ふな身を守れおのづからもる賤家の月」などの歌心を例に挙げて「清く静かな心を養うと相手に少しでも隙があるとそれが心の明鏡に写って打てるようになる。これが水月の教えである」と一刀流極意で解説されています。

 この歌は柳生新陰流の柳生但馬守宗矩の子柳生十兵衛三厳の月之抄(寛永19年1642年)の「真之水月之事」に見られます。「うき草をはらいてミればそこの月寔(ここ)にありとハ唯かしるらん」今村嘉雄著史料柳生新陰流より。
 新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事が元禄14年1701年ですから59年前に記録されています。きっとどこかに元歌があったのでしょう。 
 ちなみに、妻木正麟先生の田宮流は寛文10年1670年に紀伊大納言松平頼宜公の次男頼純公が、紀州家の分家である伊予西条藩に入部したとき、紀州田宮流が田宮対馬守長勝の弟子である江田儀左衛門尉によって伝えられたことにはじまる。(妻木正麟著詳解田宮流より)

 曾田本古伝神傳流秘書の書き出しにある「抜刀心持引歌」に居合太刀打共水月の大事口伝古歌に「水や空空や水とも見へわかず通いてすめる秋の夜の月」などの歌がこの歌の関連の歌と思われます。
 浮草を掻き分けて見なければ月は見えない、我が心を静めて無心にならなければ相手の心はわからないよ、と歌っている様に思います。

 田宮流歌の伝にある26首の歌を終ります。
 田宮平兵衛は林崎甚助重信と修行の旅をしたような足跡が東北地方の伝書からそれと無く感じられます。その時に感じた居合心を歌に詠んだのかも知れません。田宮平兵衛業政之歌32首として林六太夫守政は江戸から持ち帰った歌は32首あります。
 田宮神剣は居合歌の秘伝は26種でしたが同じ歌もあってそのルーツが偲ばれます。居合の形は違っても同じ居合心が引き継がれているのでしょう。
 
 居合を修業する心は同じでも、状況に応じる業技法は人に依り歳月により変化するのも当然ながら、人それぞれが受けて来た人生そのものがその人の癖となって業技法に現れて当然と思います。

 妻木正麟著詳解田宮流居合から居合道歌を拝借させていただきました、居合修行をする者の通過点として是非学ばねばならなかった歌心を勉強させていただきました。
 ありがとうございました。何かございましたらコメントをいただければ幸いです。

 もう少し歌心から居合に取り組んでみたいと思います。
 次回から中川申一著無外流居合兵道解説より百足伝を勉強させていただきます。

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2020年3月 6日 (金)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の25寒き夜に

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の25寒き夜に

田宮神剣は居合歌の秘伝
寒き夜に霜を聞くべき心こそ
      敵にあひても勝はとるべし

曾田本居合兵法の和歌
寒夜にて霜を聞くべき心こそ
      敵にあふても勝を取なり

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
寒夜にて霜を聞くべき心こそ
      敵にあふての勝をとるべき

 それぞれ少々ニュアンスが異なりますが「寒い夜に霜が結ぶ音を聞き分けられる程に静かに澄んだ心ならば、敵に出合っても勝つことが出来る」。
 心を静めて相手の心の動きを知ることが出来れば勝てるものだ、と歌心は歌っています。敵に出合えば勝とうと焦って、一方的に打ち込んだり、相手がこのように出てきたらこうしようなど画策したり、中には怯えてしまうものです。そこを心を落ち着かせて相手の思いを我が心に移して懸待表裏の活人剣にいたる事を奥義として歌っているのでしょう。
 曾田本の居合心持肝要之大事居合心立合之大事には「敵と立合兎やせん角やせんとたくむ事甚だ嫌う、況や敵を見こなし彼が角打出すべし、其の所を此の如くして勝たん抔とたくむ事甚だ悪しゝ、先ず我が身を敵の土壇ときわめ何こころなく出べし、敵打出す所にてチラリと気移りて勝事也、常の稽古にも思い案じ巧む事を嫌う。能々此の念を去り修行する事肝要中の肝要也」と述べています。
 曾田本古伝神傳流秘書の巻頭にある抜刀心持引歌の中の一節。“兵法に曰く端末未だ見ざる人能く知る事なしと有り。歌に「悟り得て心の花の開けなば尋ねん先に花ぞ染むべき」。「霜うずむ葎の下のキリギリス有かなきかの声ぞ聞ゆる」”。
 普段の稽古でも此の心は磨くことは可能でしょう、然し自分に都合の良い仮想敵相手や、形を「かたちだから」と初めから歩数何歩、打ち込む角度何度とやっていたのでは何も磨かれる訳は無いでしょう。
 

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2020年3月 5日 (木)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の24世の中は

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の24世の中は

田宮神剣は居合の秘伝
世の中は我より外のことはなし
       思わは池のかへるなりけり
(世の中は我より外のことはなし
       思わは池のかわずなりけり)
(世はひろし我より事の外なしと
       思ふは池の蛙なりけり)

曾田本居合兵法の和歌
世は広し我より外の事なしと
       思うは池の蛙なりけり

庄内藩林崎新夢想流秘歌之大事
世の中に我より外の物なしと
       おもふ池の蛙なりけり

 この歌は荘子外篇秋水第17によるものと思われます。「井戸の中の蛙に海の事を話してもわからないのは自分のいる狭い場所に拘っているからである」に依るのでしょう。「野語に之有り、曰く、道を聞くこと百にして以て己に若く者なし」これは、ことわざにわずかな道理を聞きかじって、自分に及ぶ者はいないと思うというのがあることをさしています。
 この歌もそこから、世の中は我より外に此の居合を知る者はいない、その様に思うのは池の中の蛙と同様だ、と歌っています。田宮流の括弧内の歌も歌の意味は同じでしょう。
 庄内藩の秘歌之大事には「世は広し折りによりてぞかわるらんわれしる計りよしとおもふな」と田宮流の括弧の(世はひろし我より事の外なしと思ふは池の蛙なりけり)より厳しく、世の中は、相手に依っても、状況によっても、時代によっても変わっていくものだ、今の侭で良いわけなどはない。と歌っています。たとえ今いる場所からより大きな所へ出たとしても、其のままであるわけはないぞという教えなのです。
 諺に「井の中の蛙大海を知らず」と云うのがありました、「大海は折に触れてぞ変わるらん」と武術には卒業など無いのです。

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2020年3月 4日 (水)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の23下手見ては

道歌
3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の23下手見ては

田宮神剣は居合歌の秘伝
下手見ては上手の上のかざりなり
       返すかえすもそしりはしすな
(下手こそは上手の上のかざりなり
       返すかえすもそしりはしすな)

曾田本居合兵法の和歌
下手こそは上手の上の限りなれ
       返すかえすもそしりはしすな

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
下手こそは上手の上のかたりもの
       かえすがえすもそしりはしすな

 元の歌がどれなのか判りませんが、この歌は古くから歌われて後世の者が文字が読めなかったか、取り違えたかして変化して来たとしても大きな違いは無さそうです。
新庄藩の秘歌之大事は原文の文字は草書ですが楷書で書いておきます。
「下手こそハ上手能上乃可多りものかへ春〵もそし里者之春奈」
この草書体ですから、根元之巻授与の際どの様に読み解いたかはわかりません。

 歌の意味はそのまま読めば「下手こそは上手の上の飾り物(限り者・語り者)、どう考えても(幾度も繰り返すが・本当に・丁寧に)悪く言う(非難する・けなす)ものではない。」
 初心の内はいくら指導しても上手くならない、不器用な人はいるものですが、そこそこ年月が経過して真面目に稽古に励んでいても指導された様には出来ない、そんな人も居る者です。
 上手とは、指導された様に真似できる人を云うのか疑問ですが、大抵その程度のものです。真似が下手、覚えが悪い人の中には単なる真似事で「良し」としない人もいるものです。
 この歌は、どの程度の事を歌っているのか解りませんが、下手が居るから上手に見えるに過ぎない、だから下手を誹るなでは奥義の歌とは思えません。
 「何故そうするのか」の問いに答えられない「へぼ指導者」はいっぱいいます。真似だけして出来たとする事が出来ない本もの思考の人も居るのですから、そこを良く見て上手い下手を論じる事が忘れられています。
 みんな同じ様に出来て「あ~よかった、おれの指導も是で良い」では名人達人は愚か、真の伝承者すら残せないでしょう。
 

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2020年3月 3日 (火)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の22無用する

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の22無用する

田宮神剣は居合歌の秘伝
無用する手詰論おばすべからず
      無理の人には勝ちてせんなし

曾田本居合兵法の和歌
無用なる手詰の話をすべからず
      無理の人には勝って利はなし

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
この歌は有りません。

 田宮流の歌と曾田本の歌とは略同じと見ていいのでしょう。
必要も無いのに、攻め立てる様な話を仕掛けるものではない、理屈の分らない人には理論で勝っても何の益も無いよ。広辞苑の解く所に従って解読すれば、この様な歌の意味だろうと思います。
 「無理の人」とは「理の無い人」で「理屈が分からない人」、でもあるし「無理やり自分の考えを押し付けてくる人」とも取れます。業技法だけは一人前だが、人としてはチョットと云う先生に多い傾向でしょう。
 業技法だけに留めて自分流を見せつけるならば素晴らしいとも云えるでしょうが、それを嵩に弟子を思い通りに抑え込もうとするなど論外ですが、業技法の教え方も「習った通りに何故出来ない」と馬鹿だのチョンだの言い放題では弟子は育たないものです。
 人の師足らんと思う人は、自分の習った半分の時間で自分のところまで弟子を引き上げ、更に自分と共に上を目指す師でありたいものです。
 この歌は、そんな師弟関係でも通用する歌で、無駄な時間は不要です。
 昨年来の監督やコーチと選手、果ては昇段審査に金銭授受の忖度など、人の弱みに付け込んだ話がありましたね。

 この歌心はそんなくだらないことばかりを云うのではなく、もっと深く武術の奥を指示してくれている歌と思います。
 沢庵和尚の不動智神妙録に「事の修行を不仕候えば、道理ばかり胸に有りて、身も手も不働候。事の修行と申し候は、貴殿の兵法にてなれば、身構の五箇に一字の、さまざまの習事に手候。理を知りても、事の自由に働かねばならず候。身に持つ太刀の取りまわし能く候ても、理の極り候所の闇く候ては、相成間敷候。事理の二つは、車の輪の如くなるべく候。」
 理が分っていても、自由に働かせる業が不十分では役に立たない。また太刀の扱いがどんなに良くても、理が解らなければ唯の人殺しの棒振りに過ぎない、事理揃って武術は意味のあるものと云っています。
 

 

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2020年3月 2日 (月)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の21至らぬに

道歌
3、田宮流居合歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の21至らぬに

田宮神剣は居合歌の秘伝
至らぬゆるしこのみをする人は
      その道ごとに恥をかくべし

曾田本居合兵法の和歌
この歌は有りません。

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
至らぬにゆるしこのみをする人は
      居合の恥を我とかく也

 新庄藩の寛政3年1791年の伝書では「秘歌の大事」に「いたらぬに免許このみする人は居合の恥を我とかくらん」と変化して免許を欲しがる人と明瞭にしています。
 更に新庄藩の明治44年1911年の伝書では居合秘歌巻に「初心にてゆるしこのみをする人は居合のはじを我とかく也」と更に至らぬよりも「初心」にまで引き下げています。
 田宮流では「至らぬに許し好みをする人はその道毎に恥をかくべし」。まだその道の奥義に達しても居ないのに、免許を欲しがる人は、その道その道で恥をかくであろう。直訳すればその様に聞こえます。
 秘歌之大事では、そのまま、居合の奥義に達しても居ないのに、免許を欲しがる人は、居合の恥を我とかくであろう。ですが「我とかく」が気になります。此処を許しこのみをした本人と、それを許した師匠である我とも取れるし、二人とも恥をかくとも取れそうです。
 免許皆伝の意味は、指導された業数を教えたよ、と云うのが業目録、師匠の指摘されたことが出来たかどうかは疑問です。更に免許皆伝は皆伝えたよと云うだけのことです。取り敢えず指導は終わったよ、後は自分で磨き上げなさいというものでしょう。
 曾田本居合兵法の和歌には「物をよく習い納むと思うとも心掛けずば皆廃るべし」と厳しいことを歌っています。

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2020年2月29日 (土)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の20我が道の居合一筋

道歌
3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の20我が道の居合一筋

田宮神剣は居合歌の秘伝
我が道の居合一筋誰伝ふに
     知らぬ理かたの事をかたるな

(我が道の居合一筋さうだんに
     知らぬ兵法事をかたるな)

曾田本居合兵法の和歌
我道の居合一筋雑談二
     知らぬ兵法亊を語多る那

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
この歌は有りません

 この歌は、木村栄寿先生の居合歌之屑では「我道の居合一筋雑談にしらぬ兵法事をかたるな」とあります。田宮神剣は歌の秘伝は元歌が変化していったのか解りませんが、大凡曾田本と同じ歌心であろうと思います。
 曾田本は「我が道の居合一筋雑談に知らぬ兵法亊(わざ)を語るな」。解釈は、我が一筋に修行する居合について、雑談であろうと知らぬ兵法の亊(業)を語るな。
 田宮流の歌は「我が道の居合一筋誰伝うに(云うの誤字か)知らぬ理方の事を語るな」。解釈は、我が居合一筋の道であるが、その居合を誰に伝えるにしても、知らない理方(意義)の亊(業)を語るな、でしょう。
 
 何れの歌も、雑談でも誰かに話すにしても、居合について知らない事は語る事ではない。それでは当然のことを言って居るに過ぎないようですが、この奥に秘められた歌心は、はて、と頭をひねっています。
 更に他流に自流の業技法が漏れてしまう事を恐れる為の事であれば、その程度の事で不利となる武術では奥が知れています。この程度の事では極意に相当する内容とは思えません。
 何流にしても入門に際して起請文を入れていた様で今でも、恰好をつけて居る所もありそうですが、中山博道先生が細川義昌先生にお出しになった起請文が、木村栄寿先生の林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流伝書集及び業手付解説に掲載されています。この歌を読み解くに当たり歌心を求める者に此処に引用させていただきます。

 起請文
1、無双神傳英信流居合兵法修行之事
1、先師の御遺言堅相守他流混雑等非道之事
1、御相傳之儀におゐては親子兄弟たり共他言他見之事
右条々堅可相守若於違背仕者神明之義罰可罷蒙者也
 大正5年12月 中山博道

 この起請文の2項の「他流混雑」は何故いけないのか・3項の「親子兄弟たり共他言他見」に記された事の意味は何なのか。
 古流剣術は始祖の死闘の末に作り上げられた武術とも云える、それを学ぼうとするならば、それまでに習い覚えた武術を封印して習うべきもので、「竹刀剣道では」とか「神道無念流では」とか得々として持ち出す者が多い、居合もしかりといえます。習う時は素直に総てを習い覚えなければ本来の習いにはならないし、その奥義に到達する事を妨げてしまいます。それでも過去に習い覚えた動作は知らずに出てしまうものです。
 「親子兄弟たり共他言他見之事」は「親子兄弟たり共他言他見せざる之事」でしょう。聞いたり見たりしただけで奥義を相伝した内容に迫れるかは見たり聞いたりした者が、既に他流の奥義に到達する程の者でない限り大した障害にはなりそうもありません。特に現代のように、昇段審査や演武競技にとらわれ、形を「かたち」として演ずることしか出来ない様になってしまいますと、形から次々にほとばしる「まろばし」が失われ「格を放れ」ることすらできなくなってしまうものです。
 現代では、武術論を得々と述べて見ても、その世界に居る一部のもの以外は耳を貸すことも無いでしょうから、「好きにしたら」でいいのでしょうが、自慢げにしゃべれば品位を失うばかりでしょう。

 

 

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2020年2月28日 (金)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の19本の我に勝つ

道歌
3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の19本の我に勝つ

田宮神剣は居合歌の秘伝
本の我に勝つがためぞといいならひ
      無事いふは身のあとなる

曾田本居合兵法の和歌
本の我勝が居合之習なり
      なき事云はゞ身の阿だと成る

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
本乃我尓勝可居合之大事也
      人尓逆婦ハひが多なり介里

 この歌の「本の我に勝つ」までは、三首とも同じですが、そこからそれぞれの言い回しですが、歌心は同じと見ていいのではないでしょうか。「本の我に勝つ」の「本の我」とは本心なのか妄心なのかですが、妄心に本心が負けるわけには行かないでしょう。
 木村栄寿本の居合歌之屑では「本の我勝が居合の習なりなき事一つ身の仇となる」と読み下しています。
 そこで此処の「本の我」は本心が妄心に打ち勝つ事によって相手が見えて来るものだ、それが居合の大事な習い処である、無いものねだりする様な、相手がこうあってほしいなどの事を云っていては身の仇となる。とこの歌心をとらえてみました。
 田宮流居合歌の伝では4首目に「居合とは心に勝つが居合なり人にさかふは非法なりけり」と有りました。この歌の「心に勝つ」は「妄心」に勝つことを意味しています。
 沢庵和尚の不動智神妙録に「心こそ心迷はす心なれ心に心心ゆるすな」とあります。既説していますが、柳生宗矩の「兵法家伝書」ではこの歌を「心こそ(妄心とてあしき心也。我が本心をまよはする也) 心まよはす(本心也。此心を妄心がまとはす也) 心なれ(妄心をさして心なれと云ふ也。心をまよはす心也とさしていふ也。妄心也) 心に(妄心也。此妄心にと云ふ也) (本心也。心殿とよびかけて、本心よ妄心に心許すなと也) 心ゆるすな(本心也。妄心に本心をゆるすなといふなり)」と解釈しています。

 
 

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2020年2月27日 (木)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の18千八品

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の18千八品

田宮神剣は居合歌の秘伝
千八品草木薬を聞きしかど
      そのあてがひを知らでせんなし

曾田本居合兵法の和歌
この歌はありません。

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
千八品木草薬と聞し可と
      と乃病尓と志らて詮なし

 千八品(せんやしな・1008種類)ある草木薬(木草薬)と聞いてはいるが、その薬はどの病に効くのか宛がいを知らないのではどうしようもない。こんな意味合いでしょう。
田宮流と秘歌之大事に残された和歌ですが、文言に違いがありますが、歌心は伝わった様です。
 然しこの歌は居合の道歌ですから、居合に関連付けて読み解きませんと、「幾つもある、居合の業技法だが、どの様な状況に際して対応したらいいのか解らなければ意味はない」と、単純に幾つもある居合の業技法と理合(意義)に相当する仮想敵との攻防の状況と云えるのでしょう。
 例えば、相手の害意を察して機先を制して、立膝の横雲で抜き付けようと刀に手を掛けた瞬間、相手は詰寄って我が柄を両手で押さえて来た、大小詰の抱詰です。柄の押さえ方もいくつかあって下へ押し付ける、柄を握った右手を制せられる、など。
 この状況に対する応じ方は幾つも想定出来るでしょう。現代居合では稽古業は正しい抜刀の方法だけを示していますが、あらゆる状況に自然に対応できなければ修業を積んだとは言えそうにありません。
 一つの病に幾つもの草木薬が必要の場合もあるでしょう、同様に居合も習い覚えた業技法の瞬時の組み合わせが必要な場合もあるものです。左足を退て横一線に抜き付ける抜刀法のみで応じる事を前提としても、左廻りの横雲、右廻りの横雲、ある・ある・あるです。
 
 
 

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2020年2月26日 (水)

道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の17金胎の両部

道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の17金胎の両部

田宮神剣は居合歌の秘伝
金銀の両部正に見えにけり
      兵法有れば居合はじまる

(金胎の両部正に見えにけり
      兵法有れば居合はじまる)

曾田本居合兵法の和歌
金胎の両部と正尓見へ尓介り
      兵法有れハ居合者しまる

新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
金鉢の両部の二つと見しにけり
      兵法あれば居合はじまる
  (天童郷土研究会長伊藤文治郎氏読み)

 田宮神剣は居合歌の秘伝の「金銀」は恐らく「金胎」の間違いが伝書に書かれていたのでしょう、妻木先生も「金銀」を(金胎)とされています。伝書ですから敢えて訂正は憚られたのでしょう。
曾田本兵法の和歌は「金胎の両部と正に見えにけり兵法有れば居合始まる」とされています。曽田先生と伝書違いでしょう、木村栄寿先生の「林崎抜刀術兵法夢想神傳重信流傳書集及び業付解説」でも「金胎の両部とまさに見へにけり兵法有ば居合はしまる」と、「金胎」から始まっています。この資料は細川家より拝借された「居合歌之屑」からのようです。歌の順番や歌の中に曾田本と異なる歌がありますので、両先生それぞれの伝書からの引用でしょう。
 新庄藩の歌は「金鉢」で文字は鉢の草書体ですから、当初から「金鉢」として書かれた様で、明治になっても訂正されず「金鉢」で通されています。
 古伝の歌は、意味不明でも、先師の残されたものなので消去されずに残ったと云えるでしょうが歌心迄読み取れたでしょうか疑問です。

 金胎とは仏教における、金剛界と胎蔵界を意味するもので、金剛界は大日如来を智徳の面から開示したもの、胎蔵界は理から説いたもので金胎両部と云われる様です。

 智徳とは、「智と徳と。知恵と徳行と。智徳合一。諸仏三徳の一。一切の法を照らしてさまたげなき菩提をいう。またこの徳をそなえた高僧をいう。」(広辞苑)
理とは、「物事の筋道。ことわり。道理。中国哲学で宇宙の本体。物の表面にあらわれたこまかいあや。文理。」(広辞苑)

 金胎両部のごとく智徳と理の一体であればよいものを、両部と別れて見える時には、和する事もならず、コミュニケーションの最終手段である武術に依る決着を計ろうと居合が始まる。この歌の意味はこんなところでしょうか。
 仏教用語が居合の歌心に使われたと云えますが、どこまでこの歌を理解し得たのか、寧ろ往時の武士の方が難なく読み解いたのでしょうか。
  意見の食い違いよりも、当座の利益が相反する時に兵法が前に出て来たでしょう、と云ってしまうと何か情けなくなってきます。

 

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