道歌3田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌3の2の26うき草は
道歌
3、田宮流居合歌の伝と曾田本居合兵法の和歌
3の2の26うき草は
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田宮神剣は居合歌の秘伝
うき草はかきわけみればそこの月
ここにありとはいかで知られん
曾田本秘歌の大事
この歌は有りません。
新庄藩林崎新夢想流秘歌之大事
萍をかきわけ見ずば底の月
ここにありとはいかでしるらん
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この歌の元歌がどこかにありそうな雰囲気ですが、是と云って見つけ出せずにいます。池一面に浮かんでいる萍を掻き分けて見れば、池の底に今日の月が写っていた。此の場合池の底に月は写るものなのか、水面に写るものなのか見たままの状況を詠んだのでしょう。
武術では、相手の心を我が心に移しとって応じる水月の心が謡われています。
無外流の百足伝「うつすとも月も思はずうつすとも水も思はぬ猿沢の池」
一刀流の水月之亊では笹森順造先生は「早き瀬に浮かびて流る水鳥の嘴振る露にうつる月かけ」「敵をただ打と思ふな身を守れおのづからもる賤家の月」などの歌心を例に挙げて「清く静かな心を養うと相手に少しでも隙があるとそれが心の明鏡に写って打てるようになる。これが水月の教えである」と一刀流極意で解説されています。
この歌は柳生新陰流の柳生但馬守宗矩の子柳生十兵衛三厳の月之抄(寛永19年1642年)の「真之水月之事」に見られます。「うき草をはらいてミればそこの月寔(ここ)にありとハ唯かしるらん」今村嘉雄著史料柳生新陰流より。
新庄藩の林崎新夢想流秘歌之大事が元禄14年1701年ですから59年前に記録されています。きっとどこかに元歌があったのでしょう。
ちなみに、妻木正麟先生の田宮流は寛文10年1670年に紀伊大納言松平頼宜公の次男頼純公が、紀州家の分家である伊予西条藩に入部したとき、紀州田宮流が田宮対馬守長勝の弟子である江田儀左衛門尉によって伝えられたことにはじまる。(妻木正麟著詳解田宮流より)
曾田本古伝神傳流秘書の書き出しにある「抜刀心持引歌」に居合太刀打共水月の大事口伝古歌に「水や空空や水とも見へわかず通いてすめる秋の夜の月」などの歌がこの歌の関連の歌と思われます。
浮草を掻き分けて見なければ月は見えない、我が心を静めて無心にならなければ相手の心はわからないよ、と歌っている様に思います。
田宮流歌の伝にある26首の歌を終ります。
田宮平兵衛は林崎甚助重信と修行の旅をしたような足跡が東北地方の伝書からそれと無く感じられます。その時に感じた居合心を歌に詠んだのかも知れません。田宮平兵衛業政之歌32首として林六太夫守政は江戸から持ち帰った歌は32首あります。
田宮神剣は居合歌の秘伝は26種でしたが同じ歌もあってそのルーツが偲ばれます。居合の形は違っても同じ居合心が引き継がれているのでしょう。
居合を修業する心は同じでも、状況に応じる業技法は人に依り歳月により変化するのも当然ながら、人それぞれが受けて来た人生そのものがその人の癖となって業技法に現れて当然と思います。
妻木正麟著詳解田宮流居合から居合道歌を拝借させていただきました、居合修行をする者の通過点として是非学ばねばならなかった歌心を勉強させていただきました。
ありがとうございました。何かございましたらコメントをいただければ幸いです。
もう少し歌心から居合に取り組んでみたいと思います。
次回から中川申一著無外流居合兵道解説より百足伝を勉強させていただきます。
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